教法寺の歴史

教法寺の由来

当寺由緒の義は元応年間(1319~1321)鎌倉の時代に、畠中重忠の弟にあたる教法房浄信が海岸に打ち上げられた木の仏様を安置するために創建されました。
摂津(現在の川西市)多田の庄の当主多田義忠(清和源氏の流れを組む多田氏の祖、多田満仲の子孫)が蓮如上人の御化導により法名「釈順誓」を頂き、御染筆六字名号 (虎斑の名号)を拝受。
真宗興隆の為下関に入り、中興の祖となられました。

教法寺の年表

【文献の残っていない史実】

長府毛利家輿入れ

長府毛利家のお輿入れの品は現存するも、当山文献等は戦争で消失、どの代のことか定かではない。

秋田商会との関係

秋田商会は、日露戦争頃に創立され、材木問屋・海運業などを営み大陸にまで手を広げた、下関を代表する企業であった。
秋田家初代は、従兄弟である教法寺住職を頼って下関に来たと言われている、当山文献等は戦争で消失し、どの代のことか定かではない。
(資料提供 下関市施設観光課)

山陽電気軌道敷石(サンデン交通の前身)

当山、山門より玄関までの敷石は、戦後復興の折、筆頭総代林家より、 当時運行していた路面電車の敷石を寄付頂いたものである。(第15世住職多田了道談)

フェニックス(カナリーヤシ)

本堂前にそびえるフェニックスは、植樹されて40年(2012年現在)になる。
戦後復興の折、彦島西山地区 植田家より寄付されたものである。

2011年7月19日放送 テレビ朝日【ちい散歩】(地井武男さんの番組)古くから栄えた港町 『山口県下関市唐戸』の回で教法寺を訪問した際に、立派なフェニックスを発見し、 自身の40年前を振り返ると言うシーンの撮影がおこなわれた。

山門から続く敷石
本堂前のフェニックス

教法寺の組織図

教法寺の彦島門徒の説教所として親しまれていました。
教法寺第13世道豊の代に、皆が参る為の本堂が必要であると、門徒中の懇願により教法寺分院として彦島に本堂を落慶しました。
平成23年に、老朽化の進んだ本堂を再建し、現在に至っております。

■住所
〒750-0075
下関市彦島江の浦5-4-9

■電話
083-266-2441

■アクセス方法
上り サンデン交通バス『桟橋通』バス停
下り サンデン交通バス『桟橋通』バス停

年間法要

1月 御正忌報恩講 8月 お盆法要 3月 春彼岸法要 9月 秋季彼岸会法要・永代経法要 5月 宗祖降誕会法要 ※法座ポイントカード実施中です。